2019年5月10日金曜日

日本の学校教育に、モノ申す!!③





15〜20℃の、一番心地よい時期はあっという間に過ぎ去り、もはや暑いっすね・・。ついこの間まで、暖房を付けていた気がしますが。あ〜ぁ、もう夏か・・・。



さてさて、今回は一回とばしていた、「教育にモノ申す!」の第三弾です。前の二回は閲覧数がイマイチ伸びていないので、そんなにキャッチーな話題ではないのでしょうけど。全然かまわない(笑)!! 実は、この記事を今日までにUPする目的が、僕なりにありましてね。



僕は20代中盤からのおよそ10年間は、個別指導塾で働いておりまして。独立する前には、二つの塾で働きましたが、そのどちらもで「生徒に必ず宿題を出す」という絶対的なルールがありました。

僕は上司の指示通りに、生徒に宿題を出していましたが、僕が担当した生徒の全員がきちんとやって来たかというと、もちろんそんなことはありません。そして、きちんとやってきた生徒でも、明らかに熱が入っておらず、“やれと言われたからテキトウにやってきました”というケースが多くありました。


僕はその後、自分の塾を立ち上げましたが、そこで僕は、そもそもシステム的にムダだと感じていた、時間割(◯◯君は水曜日の20時から授業、的な)と、“押しつけ宿題”を、完全に撤廃しました。それはどういう事かというと、授業は「16時〜21時の間に、いつ来てもいい。来たら教える!」制度にしまして。宿題も生徒の意向を聞き、本人の「ここまで家でやって来ます」の宣告に「自分で決めたからには、必ずやること」としていたということです。逆に言うと、「塾に行きたくない」という生徒に「来なさい」と言った事もないですし、「宿題をやりたくない」という生徒に「やりなさい」と言った事もないです。

すると、どうなったと思いますか? 生徒は、他の生徒と争うように積極的に塾に来るようになりましたし、争うように宿題の量を自分で増やすようになりました。もちろん全員ではないですが、少なくとも「塾に来させる」「宿題をやらせる」システムの塾と比べたら、その割合は遥かに高かったです。


英語の話でも似たような事を言いましたが、要は「やれと押し付けられるから、やる気をなくす」んですよ。押しつけを完全になくしたら、生徒は自分からやり始めます。教師や親が、子どもに押し付けるべきことは「塾に行け」「宿題しろ」ではないです。「どんな大人になりたいか、どんな仕事につきたいか、自分で考えてそのために成長しなさい」を押し付けるべきなのです。

その結果、学習を放棄してゲームばかりしている子どもには、「先生もゲームにハマった時期があった。しかしある時、それが時間のムダだと気付き、それから必死に勉強して教師になった」というような話をしましょう。「“明日から始めよう”という人は、結局それを繰り返す」「“やらなきゃなぁ〜”ではなく、“やるべきだ!”という思考回路になれ」等と、熱く訴えましょう。

そのためには、大人はカッコよくなくてはいけませんね。「勉強しても、こんなしょうもない大人にしかなれんのか・・・」と子どもたちに思わせたら、それこそが教育の失敗です。“楽にしか生きる気がない”僕はカッコ悪いので、子どもを持たない人生を選択したわけですが(笑)。それなのに、ここで偉そうに持論を述べて、すみませんです。


宿題をやれ!と押し付けられた生徒は、言われた分だけをテキトウにこなして、満足してしまいます。「ちゃんとやっているでしょ?」という、ただの免罪符になります。一方で、「ここからここまでやる!」と、生徒に自分で決めさせると、彼らは本気でやって来ます。なんならば、宣言した量を越えて、自ら率先してやり始めます。

これは学習塾講師歴10年の、僕の実体験です。宿題を強制的に課すというスタイルが、どれだけムダなことか、塾の経営陣の連中ってなんで気付けないんですかねぇ。はっきり言います。「生徒に宿題を押し付ける塾=レベルの低い塾」です! そういう塾は、ホント、わかってない!!




ところで僕は学生時代、運動はてんでダメだった一方で、勉強はすこぶるできまして(笑)。つまらない授業をする教師に対しては、バカにしまくりの、かなり性悪な生徒でした。なので一部の教師たちからは、すれ違えば睨まれるレベルで嫌われていましてね。僕は、それすらも笑っていましたよ。ほんと、クソ生意気なガキでした。

しかし、そんな僕でも絶大にリスペクトした教師が、二人います。小学生時代の担任の先生は、リスペクトというよりも「好きだった」に感覚が近いので、これは中学時代のO先生と、高校時代のM先生のことです。というわけで、ここで僕と彼らとのエピソードを。このエピソードがあったからリスペクトしている、というわけではないですが。



中学三年の冬、毎年恒例の駅伝大会がありまして。各クラス(生徒40人ほど)で、チームをA〜Dの四つに分け、一日に4回のレースが開催されるという形でした。

もちろん、A〜Dでレベルの差があり、Aチームのレースは各クラスがプライドを賭けた、最強メンバーで臨むというのが暗黙の了解でした。なので僕のクラスでも、長距離走が速い者から順に、Aチームを結成しようとしていたのですが・・・。“足の速い野郎ども”が、超絶・冷めてる系でしてね。「駅伝とかマジでかったりぃ。真面目に走るの、ダッセェし。俺たちはDチームで」となったのです。

そのせいで、チーム分け会議は、なにやらケンカのようなカオスな雰囲気に。担任のO先生も、何も言わないものの、明らかにイラついている。そこで、僕が手をあげまして。「そんじゃあ、俺がAで走りま〜す」と。僕のそれをきっかけに、他にも何人かが同調し、会議は無事に終了しまして。

僕は、実力的にはチームD、よくてもCって感じでしたけどね。どのチームであろうが、どうせ同じ距離を走るわけだし、走るからには本気で走りたいと僕は思っていましたし。で、駅伝大会の当日。ベストチームではない僕らは、もちろん遅いのですが、なぜかアンカーを任された(笑)僕はビリから二番目でタスキを受けまして。

僕はあっさりとビリのチームに抜かれ、どんどん離され、途中からは完全に独りぼっちで走りましたよ(涙)。すると終盤、学校に戻るまであと1キロほどかという地点に、なぜか担任のO先生が立っている。そして、僕と並走し始めまして。「タクーーーッ! もうちょっとだ!! がんばれ!!」と、並走しながらずっと叫びまくっている(笑)。

そのまま僕は、大きく離されてのビリでゴールしましたが。まぁ、そもそも走るのは得意じゃないし、別に誰からも責められなかったしで。もちろん悔しかったものの、僕なりに気持ちよくやりきった感がありました。


それから少し経ち、そろそろ卒業を間近に控えた頃に、放課後の教室で、たまたま偶然にO先生と僕の二人だけになったことがありました。そこで先生は、僕にこう言ったんですよ。「俺は、あのチーム分け会議で、お前が自ら手をあげて“Aチームで走る”と言ったことが、本当に嬉しかった。そして、お前は全力で走っていた。何事にも本気になれるお前のその姿勢は素晴らしいから、これからもそのままでいてほしい」と。僕は正直、感動しましたよ。そうやって、認めてもらえるのって、本当に嬉しいですよね。



時は過ぎ、今度は高校三年。なまじっか勉強ができたせいで、県内有数の進学校に通っていた僕ですが、大学受験に対しては、完全に冷めておりまして。単純に、大学で学びたいことがなかったんですよ。僕は、子どもの頃からの夢だった漫画家になりたいと、本気で思っていたのです。映画「いまを生きる」の影響が大ですね(笑)。

高校三年次って、12月くらいから授業はほとんど自習になりますよね(僕の高校だけかな?)。受験シーズンの直前ですから、クラスメイトは皆、すげぇ真面目に、黙々と勉強をしている。僕だけ勉強する気が皆無で特にやることもなく、近くの者に話しかけまくりで、浮きまくっておりまして。そしてついに、「五月蝿いあいつ(タクロウ)を、どうにかしろ!」という、クラス中の怒りにまで発展しまして。

ある日僕は、担任のM先生に呼び出されて、「たくさんクレームが入っているぞ!」と怒られたんですよ。しかし、「だから静かにしろ!」となるのかと思いきや、全然そんなことはなく。「お前は漫画家になりたいそうじゃないか。これまでもクラスメイトや教師をネタにした、パロディ漫画をたくさん描いていたそうだな。」「この学校は、受験に真剣すぎて、卒業文集みたいなのを作る習慣はないよな。なのでお前、卒業文集の代わりになる、皆に向けての特別な漫画を描いたらどうだ? 家の方が描きやすいなら、学校に来なくてもいい。それでもお前の卒業は、俺がちゃんとするから」と言われたんですよ。

その提案の通りに、以後の僕はテキトウに学校をサボりながら、M先生の指定した〆切りまでに漫画を仕上げまして。女子を入れるのは無理でしたが、クラスの男子は総出演する、けっこうな大作を。それをM先生に渡すと、「俺が責任もって製本して、卒業の日にクラス全員に配るぞ!」となり。

卒業式の後、最後のホームルームで、先生が持って来た二つの大きな紙袋に詰められた大量の僕の漫画をみて、これまた僕は感動しましたですよ。それは先生と僕だけが共有したシークレット・サプライズで、クラスの仲間達はビックリで。皆、我先にと漫画を読み始め、爆笑が巻き起こりまして。あれは、嬉しかったなぁ・・・。


結局、僕が漫画家になるという夢は叶いきらず、今ではただの、ゲストハウス・おじさんですけどね。これらは僕の心の中にある宝物のような、ステキな思い出です。O先生とM先生が僕に教えてくれたことは、ざっくり言うと「未来に向けて、好きな事をやれ! ただし、全力でな!」だったと思うのですよ。彼らから、何かを押し付けられたという記憶はないのです。彼らの教えによって、僕はいつでも、何に対しても自分の意志で動くようになりましたし、それが一番気持ちがいいと気付かせてもらったのです。

当時の二人は、今の僕とそんなに歳が変わらなかったはずです。あれから20年以上が経っていますから、もう教師業は引退している頃だと思いますが。元気にしているのかなぁ。


僕は先生たちのおかげで、こんな、全力でユルユル人生な大人になることができました(笑)!! 年頃が追いつき、今では当時の先生たちの思いや教えを、より理解できるようになりましたよ!!

ありがとうございました!!!




2 件のコメント:

  1. 全て肯定。
    ほんと何にも考えさせないで同じことをヤラセ、同じ服を着させ、同じかばんを持たせ、周りにカッコイイ大人がいないと最悪です(笑)。

    こんな過去&ご経験をお持ちとは〜。
    月末楽しみにしております。

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    1. 全肯定ですか! ありがとうございます!!
      今回は僕にしては珍しく、自分語りをしちゃいました(笑)。

      漫画うんぬんの話題を急いだのは、もちろん〈おかえりびと〉に向けてです。

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