2021年6月16日水曜日

いじめの問題を取り上げる以上は、俺の暗黒時代の話をする。

 


ハロォハロ〜


YAWPビル1階のお店【ラザニアと世界の料理 ロカンタ】は、おかげさまで正式オープンから三週間が経過しました。スタート直後の二週間は全ての日で売り切れ、ちょっと怖いくらいの順調っぷりでしたが、先週からメイン料理をもう一品(固定ではない)出して商品数が増えたこともあり、最近は売り切れる日が少なくなりました。ラザニアはもちろんのことながら、他の料理(今週はグリーンカレー)もすこぶる美味でハオツィーのマシッソヨなので、一人でも多くの方に食べていただきたいです〜。



さてさて。

前回のブログ<世間のあれこれに好き勝手にモノ申す>で、僕の“ネタに取り上げようかな”リストには、記事に書いた11の話題以外では

・らっ、、ライズ・・・? こりゃカッコ良ぇ!オイラも自己愛ウットリな名前に改名しようかしら?(業界人にしかわからないネタ)
・赤羽 国土交通大臣が、ゲストハウス糸屋宿主を酔っぱらい扱い。あれはヒドかったね。
・圭ちゃんと眞子さま、がんばって結婚しぃやー(乾いた感じで)
・少年革命家ゆたぼん、中学校も不登校だぜ文句あっか?宣言で物議


がありました。そしてその上で、最近になって、格闘家の朝倉未来氏が「いじめの問題は、いじめられている側にも原因がある」との発言で炎上、という時事ネタがあるのを知り、「おっ、ゆたぼんの話題と合わせて、改めて1本書いてみるかな」と僕は思ったのでした。


というわけで今回は、学校&教育絡みです。このブログでは何度かお伝え済みですが、僕は学校の教師ではなかったものの、長らく学習塾で働いておりましたので、いちおう教育者としての経験がそれなりにあります。とはいえ、教育現場のリアルを知ったような顔でドヤ意見を言うつもりはありませんが。40代の独身、子育て経験無しで、いつまで経っても人生をライズできず情けないオッサンの戯言だと、捉えていただいてかまいませんです(トホホ・・)。



まず、大前提として。僕の少年〜青年時代は、小学校では毎日がすこぶる楽しく、ところが中学校はクソつまらなく、それがまたひっくり返って高校では再びの超ジョイフルな日々でした。計12年の内に、そんな極端なアップダウンが生まれた背景には、僕の人間性は全く関わっていないとは思いませんが、振り切って言ってしまえば“あれは環境に原因があった”でして。僕が通った中学校(公立です)では、特攻服で登校しちゃうレベルのヤンキーが大量発生、いじめも大量発生。授業はハチャメチャで、もはや学級崩壊。ブチ切れ&号泣して早期退職した若い女性教師もおりました。ヤニを吸っている野郎の率は、50%を越えており。男子トイレの大便器には常に吸い殻がプカプカと、窓ガラスも常に割られ、ドアも壊され。さながら、マッドマックスのようなカオス状態でした(笑)。

「こんなロクでもない場に通うことに、何の意味がある? 時間のムダだ」と、僕は毎日思っていましたよ。授業だって、熱意と工夫があって楽しかったのはO先生の理科くらいで、他はとことん退屈。当時の僕のノートは、ほとんどが落書きで埋められていました。

とはいえ、気の合う仲間さえいれば、そんな環境でも楽しい日々を送れていたのかもしれません。しかしながら当時の僕は、これまた振り切って言ってしまえば、“友達はいませんでした”。現に、僕が今現在でも友人関係を継続しているのは、その全員が高校に入って以降に出会った者々です。僕は、ある意味では高校入学の前までの15年間を、履歴から消去して生きているのです。


僕のその、“友達いなかったぜ〜”な物語をここで語りますと。僕は自分で言うのもなんですが、小学生時代には“クラスで一番の人気者”だったのですよ。集合写真ではいつでもド真ん中におりましたし、お誕生日会に呼ばれる頻度も凄まじく。毎日、誰かから遊びに誘われ、誰かの家に遊びに行き、誰かがウチに遊びに来る。そんな、友達たくさんでいつも明るい、絵に描いたようなワンパク少年でした。


そして、中学に進学し。僕の中学校は、学区的に近隣の二つの小学校から上がってきた生徒が半々くらいの比率でおり、要は、クラスには知っている者が半分、知らない者が半分、でスタートする形でした。もちろん、同じ小学校だった友人たちと僕は、入学当初は変わらずに仲良くしていたのですが、、、一学期の中間テストが5月末にあり、そこで僕は、学年トップを取ったのです。あの中学校ではわざわざ、各生徒の5教科合計点と順位を全員分、大判紙にプリントして廊下に貼り出しており。〈① 486点 中園拓朗〉と、僕の名が一番右に載っておりました(なぜか点数もいまだに覚えている)。

僕はまぁ、今でもこんな性格ですし(笑)、ガキだった当時の僕はさらに輪をかけて、周りに不快な感じでドヤったのでしょうかね? 僕が筆記テストに強いことは、旧知の友人たちはもちろん分かっていましたが、もう一つの小学校から来た者々はその貼り出された紙で知ったわけで。その日を境に、見事にあからさまに、連中は僕への“ハブり”を開始したのです。いやぁ〜、あれは本当に判りやすかった!!

そして、連中が生んだ「あいつ(タクロウ)、ムカつくからハブろうぜ」の波が、僕と小学生時代から仲良かった友人たちへも少しずつ伝染しましてね。一人、また一人と、、僕に近寄る者が減って行く。

今であれば、僕はその状況下でも巧く立ち回る術を探すだろうと思いますが。当時の僕は、これに落ち込むどころか、「頭の悪いお前らとは、俺は見ている世界が違う。バカはバカ同士でつるんでろや」というヒネクレな方向に進み。「友達ゼロでも全くかまいませ〜ん」という、強気な着地をしたのです。

ここで、「そんな状況でアンタ、よくいじめられなかったねぇ」と感じた、読者の方がいるかもしれません。実は当時、体育の授業で、剣道をする学期があったのです。これは、本当にラッキーでした。僕は幼少期より剣道を習っており、その時点で歴が6年。あれは動作が特殊で経験者が圧倒的に有利なスポーツなので、初心者とそれなりの経験者が対峙して、初心者が勝つことは確実にありえません。というわけでその剣道の授業は、完全に僕の一人勝ち、無双状態(経験者は道着を着るのが可だったので、見た目からして一人だけ違うw)。特に、僕が普段からムカついていた奴らのことは、ボッコボコのズタボロにしてやってスッキリ、ストレス発散しておりました。

竹刀を持つ・・・とはいえ、剣道もいちおう格闘技ですからね。そのおかげで周りからは、なんというか「あいつ(タクロウ)は格闘技やってるから、ケンカを売るのはやめとくか」的な空気があったと認識しています。棒状の物さえあればいつでもボコれますが、素手のケンカは別に強くなかったと思いますけどねぇ(笑)。そんな感じで僕の中学生時代は、いじめられるわけでも、暴力を振るわれるわけでもないが、皆からひたすらに“ハブられる”、そんな日常だったのでした。ハブりもいじめの一種だろ、、と誰かに思われるかもしれませんが、僕は「いつでもかかって来いや」のスタンスだったわけですし、そもそも「あれは僕へのいじめだった」と自分で評していないわけですから、全くの別物です。


・・・その一方で、僕が進学した高校は、自由な校風で、いわゆるスクールカーストのようなくだらないものもなく。難関校だったので、言ってしまえば周りの全員の地頭がよく、ヤンチャ寄りの連中にもどこかに気品があり(笑)。僕は暗黒だった中学時代の記憶を完全リセットで、気の合う者々とたくさん出会い、とことん楽しい毎日でした。笑わせ目的の弄り合いは普通にありましたが、僕の知る限りでは、陰湿ないじめの問題は全く起きていなかったです。もちろん、トイレもいつも綺麗でしたよ(笑)。



というわけで、話は戻り。少年革命家ゆたぼんくんの通っていた学校が、どのような環境だったのかは知りませんが、上記のような忌々しい中学生時代の記憶がちょっとだけ残っている僕としては、ゆたぼんくんの「学校なんてクソだ!行かねぇよ!ペッ!!」という気持ちは否定できず、むしろ「自分で決めたんなら、それでいいんじゃない?」の側です。学校ってのは、やりたくないことをやらされたり興味の無い話を聞かされたりでメンタルを鍛えられ、さらには「教師の質に差がありすぎる。本当にどうしようもない大人っているんだなぁ〜」と知ることができる(笑)点に、最も存在価値があると僕は思いますが。幼少期より、世間から散々叩かれ続けている彼は、そのあたりは充分に学べていることでしょう。

ただし彼が、「悩んでいるお前らも、行かなくていいって!」的な巻き込みアピールをしていることには、「それはやめようぜ〜」と思います。ゆたぼんくんの不登校はあくまで、個人的な決断であり、独りで勝手にやっていればいいだけです。日本全国の、学校がイヤで悩んでいる児童、生徒、それぞれにそれぞれの理由がある。逃げ道、もしくは乗り越える道を見つけて歩き始めるのは、あくまで本人の足であって、ゆたぼんくんのエスコートは全く必要ありません。それに彼は、不登校界の教祖様的なポジションを表面的に目指しているだけのように見え、とにかく軽くて薄っぺらい。各々の悩みを、本気で背負い込むほどの覚悟はないように感じますね。というわけで、僕は彼には「君の不登校の意志は、尊重するよ。ただしそれを正義ヅラでアピールすんなよな」と言いたいですね。


そして、「いじめの原因は、いじめられる側にも〜」の問題。炎上元の朝倉未来氏は格闘家ですから、当然、根本には強者の視点があるわけで。そして僕も前述のように、中学時代にいじめを受けなかった理由には“格闘技をやっていたから”“「売られるケンカは買ったるわい」のメンタルがあったから”という認識があり、視点は強者の方面、つまりは「いじめられっこ達よ、強くなれ!」の側に、どちらかといえば寄っています。

朝倉氏のその発信は、それはそれで正しい。彼は「いじめられっこは弱い。情けない」と言っているのではなく、「がんばって強い心を手に入れろ」とエールを送っている。彼のその発言を聞いて「そうだ、負けてたまるか!」と奮い立った者が一人でもいるのであれば、それは素晴らしいことです。「朝倉は、いじめの現場のリアルを全くわかっていない」とかいう批判意見をチラホラと見かけましたが、それには僕は賛同できません。強者の視点を元に解決するケースだって、きっとどこかにある。それなりに、ある。「いじめられっこは、それができないから悩むのに〜」とかいう意見の者は、なんでいじめられっこの全てを同じ性質だと決めつけてしまうんですかね?

あくまで僕の経験値を元に言い切ってしまえば、いじめが起きる一番の原因は、“いじめ気質の人間がそこに存在したから”ではなく、“いじめを生みやすい環境がそこにあるから”です。僕の通った中学ではいじめが大量発生だったのに、高校ではゼロ。僕が社会人になってからも、陰な空気で同僚の悪口陰口ばかりで実際に嫌がらせまでする職場があった一方、カラッと爽やかでスタッフ全員が互いを尊重し合う、陽の職場もあり。いじめとは、性格の歪んだ人間が先にいて、そいつがゼロ→イチで生み出しているのではなく、いじめをしやすい、したくなってしまう濁った沼のような環境が先にあり、その沼にアジャストする性質の者がそこに足を踏み入れることで、発生するのですよ。

なので、運悪くそんな環境に身を置くハメになった際には、大人も子供も、さっさとその場から離れるべきです。逃げるべきです。「では、そんな環境を生んでいるのは誰?」なんてのは、考えなくていい。風水のような捉え方(笑)で、社会には、陽の気が集まる場があるかわりに、陰の気が滞る場も必ず存在します。それを無くすまでの労力はとても、、というか無くすのは不可能ですので、そのための努力はする意味がない。濁沼に浸かっている方が心地がいい・・ってな愚か者は、ある一定数は常に存在しますので、そいつらの憩いの場として残しておいてあげればいいのです。


というわけで、仮に僕に息子がいて、いじめを受けて悩んでいたとしたら、僕はあっさりと「そんなしょうもない連中と関わる必要は無い。場が悪い。転校しよう」と持ちかけますね。まぁそもそも、何かしらの格闘技を習わせて「いつでもかかって来いやオラ」なマインドを鍛えておき、さらにはケンカで役に立つスキルをみっちりと教えておきますがね。「殴る時には、ペンや消しゴム等の小物を何か、拳に入れろ。威力倍増だぞ。ただし鍵は凶器使用の扱いになるからやめとけ」とか。「殴る前に相手に何かを投げろ、それで体勢を崩せて、先手を取れる。左で物投げ→右パンチのワンツーコンボを覚えたら完璧」とか。

これらは思いっきり強者の視点ですが、子供でも「オイラは周りの連中よりケンカの術を知っている」という自信があるだけで、見える周囲の色には少しは違いがあるでしょう? フワッとした「強くなれ!」を訴えるよりも、より具体的なケンカ殺法をこっそりと伝授する方が、メンタルタフネスの向上に繋がると僕は思いますけどね。いや、けっこうマジで。なんだか、話がおかしな展開に進んで、急に安っぽくなった気がしますが・・・それにこれって、女子生徒のケースでは何の参考にもならないような・・・まぁ、いいか(笑)。


児童、生徒諸君! いじめをする奴はダサいし愚かだけど、やっている奴そのものよりも、それを生む環境が何よりも悪い。しかしそんなクソな環境にいるのが楽しいと、本気で思えるようなバカが周りにいたとしたら、そいつとは関わっても何一つプラスを生まないので関わるべきではない。状況改善に向けて努力する必要もない。ただし、君たちが大人になってからも、そんな環境には何度も出くわすし、そんなバカともたまには出会うぞ。社会って、そんなもんだよ。長い人生なんだし、社会との付き合いに、少しずつでいいから、慣れて行っておくれよ。いい感じの、距離感を見つけておくれよ。


こんなまとめ方をしてみましたが、どうですかい? ゆたぼんくん!!!






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