2021年3月18日木曜日

2011年、春。僕なりの物語。(②)




さてさて、前回の続きです。


東日本大震災における、おおよそ二週間の、僕の初めてのボランティア体験。別に、飽きたとか疲れたとかはありませんでしたが、僕は本職を退職ではなくあくまでも休職中でしたし、愛犬を実家に預けているし、、等々の理由から、一旦家に帰る決断をしまして。

最後の晩に、テント内での飲み会に参加したんですよ。飲み会は、毎日のようにどこかしらのテントでやっており、ボラ仲間同士で情報交換だけしておいて各自、気が向いたらテキトウに加わる、って感じでしたけどね。「被災地で飲み会とは不謹慎だ」とか憤る読者の方がいるかもしれませんが(いないか?)、ボランティア用のテント・エリアはもちろん避難所から離れていましたし、そもそも、現地の被災者の方たちもけっこうな頻度で参加しておりましたよ。


その、僕にとっての最終夜の飲み会には、互いに長期滞在で勝手知ったる気持ちのいいボラ仲間や、現地のオジさんたちが集まっておりましたが。その中で、静岡から来ていたカップルの彼氏さんの方(大吾くん)が、「俺たち、ここで結婚しちゃおうかな」と言い出しまして。

僕はそれを、酒の勢いでのジョークだと受け取りましたが、その場にいたオジさんたちは大盛り上がりで。僕は次の日に千葉に帰りましたが、それから数日後に、大吾くんから電話があり。「マジで結婚することになった(笑)。今月末に、この避難所で結婚式をするので来てよ!」とのこと。



僕は「それじゃあ、俺は映像撮影とウェルカムボードの制作を引き受けるぞい!」と伝えまして(実は僕は、イラストだけでなく、映像制作も元プロなんですよ~)。式の予定日は5月28日で、その頃には僕以外の長期メンバーもほとんどがすでに一度は去っていましたが、その日に現地で再集結することになりまして。再集結、といってもブランクはたったの二週間ですけどね(笑)。


実は、大吾くんと、かほこさん(彼女)は、ボランティア参加の初日が僕と被る、同期?なのです。配属されたチームも同じだったので、よく覚えています。第一印象は「ヤンチャそうだなぁ〜。元ヤンのカップルかな?」でしたが(笑)、最初は二人とも頼り無さげで、存在感も薄く。数日後に僕はチームを抜け本部の所属になりましたが(前回の記事)、彼は気が付いたらチームリーダーに。さらに、一週間を越えたあたりでは全体リーダーに昇格しておりまして。出世(ボランティア活動にそんな概念はありませんが)の勢いが、凄まじかったです。


そんなこんなで5月末。僕が、結婚式のために再び気仙沼に舞い戻ると・・大吾くん、なんだかオーラが違っていた!全体リーダーを三週間もやって、立場が人を作ったといいますか、すごく逞しくなっていた!! 彼らは僕とは違い、地元での仕事を辞めた上で被災地に駆けつけており、以後もそのままずっと現地でボランティア活動を続ける、とのこと。いやぁ、スゴいわ。カッコいいわ・・・


さて、結婚式当日。式場は避難所ですから、もちろん、ボランティアメンバーだけで企画して盛り上がるような、自分勝手なものではないです。むしろ、被災者の皆さんが積極的にいろいろを買って出てくれておりまして、彼らが主宰し、手作りし、それに僕らボランティア勢が参加するような形でした。

僕が撮った当日の映像は、編集しDVDにして後日、現地の方々やボランティア参加者に配布しました。

今回、この記事を書くにあたり、こちらを数年ぶりに見てみましたが、、いやぁ〜、自分で撮影&編集したくせに、改めて泣いてしまった(笑)!被災者の皆さんが、本当に嬉しそうで。本当に楽しそうで。僕は実際の式の最中にも、号泣しておりましたが・・・(撮影中は拭けないので顔がグシャグシャになった笑!)。友人の結婚式への参加は八度ほどありますが、それらでは泣いたことなんて一度も無いんだけどなぁ。

その結婚式のDVD映像は、このブログにも貼ろうかね〜、とトライしたのですが、1時間半もあるのでムリでした・・・。まぁ、そんな長い動画は、関係者以外は見ないでしょうしね。しかし、どなたかがYouTubeにUPした動画を発見したので、それをここにリンクさせちゃいます。短い(1分40秒)ですが、まぁ、雰囲気だけでも伝われば・・・




大吾くんと、かほこさんは、ボランティア集団“はまセン”の活動が終了した後も、地元静岡には戻らず、そのまま気仙沼で暮らし続けることを決断しました。僕と彼らが連絡を取り合っていたのは一年間くらいで、ここ九年は音沙汰無しですね。彼らは今でも気仙沼で、がんばって生活しているのかなぁ? 彼らのキャラ的には、子だくさんな家庭になっていそうだが・・・(笑)

僕と毎日遊んでいた、明るく無邪気な現地の子ども達。被災の直後だというのに、“ボランティア”の名目で押し寄せた僕らを歓迎し、応援し、支えてくれた現地の皆さん。そして僕と一緒に活動をしていた、日本全国から集まった同志の方々。

あれから、10年が経ちましたね。皆さんの現在進行が、元気に幸せでいてくれたら、僕は嬉しいです。






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