2022年4月17日日曜日

なぜ、戦争が無くならないのか。






28日のYAWPの再開に向けて、リピーター(だった)ゲストさんたちから、チョロっと予約が入って来ました。よって再開するのは確定しましたので、僕は目下、宿の大掃除&DIY中です。開業以来の七年間、押し込むばかりで物が増え続けた倉庫スペースもいい加減に整理しよう、と思い立ち、中身を全出ししましたが、開業した頃の懐かしい物々のオンパレードでしてね。ゲストからいただいた手紙とか、ついつい読んでしまうので、なかなか掃除が捗りません・・・。当時の元カノがらみのアイテムもいろいろと出て来ましたが、これを機に全て捨てましたよ(笑)。

とはいえ、掃除をしているのは一日に三時間程度であり、ダラダラと自堕落な生活っぷりは、ほとんど変わっておりません。相変わらず映画ばっかり観ておりまして、今年はついに150本に到達。このペースだと、年間で500本越えかな? ヤバーーーい(悪い意味で)!!


そんな中で先日、アマゾン・プライムにて「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」という映画を観ました。その内容は、フランスのとある高校の一学年のクラスが荒れに荒れており、学級崩壊状態で。担任教師が打ち出した対策が「クラスの皆で、ナチスによるユダヤ人迫害について調べ、それを発表するコンクールに出場する」というもの。生徒達がその目標に向かって団結するまでの、いろいろを描くのかと思いきや、担任のその提案に彼らはすぐに同意し、あっさりと良好な協調関係の“いいクラス”に変貌。映画の主眼は生徒たちの成長ではなく、明らかに“ナチスへの糾弾”寄りでして、彼らが調べ、集める情報は“連中がどんなにヒドいことをしたか”の一辺倒。代表生徒の最後のスピーチでも「私達は戦争犯罪人を、未来永劫、憎み続ける!」的なことを熱く語る。

僕は「うはぁ〜、こりゃダメだ・・・」と思いながら映画評論サイトを開いてみたところ、全体平均点がかなり高い。☆1や☆2の数が、とても少ない。僕はそれでなんだかガッカリが重なり、“数少ない共感”を求める気分になってしまい、☆1のレビューの感想投稿をすべて読みましたが、その中にドンズバなものがありまして。

その投稿の内容は、「戦争の悲劇を伝えるのはもちろん大切だが、“あの悪い国の悪い人が悪いことをしました、許せないね”という教育では何も変わらない。なぜ戦争が起きたのか、なぜ防げなかったかを、教師は生徒に考えさせるべきなのだ」というもので。さらには「戦争は、悪魔が起こしているのではない。正義vs悪ではない。そこに至った歴史には、歪で複雑で深い背景が、必ずあるのだ」とも。僕はそれを読み、「その通りだ!!」と叫びたくなりましたよ。

こういう発信をすると、「お前はナチスの行いを肯定するのか?」とかいった攻撃をしてくるバカが現れそうですが、そのような連中のことは放っておきまして(最近、こんなことばかりを書いている気がしますが・・)。というわけで今回は、僕の頭の中にある「なぜ、戦争は無くならないのか」論を語ろうと思います。今回のロシア・ウクライナ戦争を主とする、ピンポイントな事案に対しての論説ではなく、もっと根本的な視点といいますか、「だって人間はこうだもの」「だって政府とはこういうもんだから」という話です。わかりやすく箇条書きにして、四つに分けます。前述の映画を観た流れもあり、“僕が教師ならば、生徒たちと戦争について議論する際には、こういう話をする”という感じにします。



①【人間の三大欲】


哲学者ニーチェは、人間には〈愛・陶酔・残酷〉という、本能的な三つの欲望、生きる喜びがあると提唱しました。僕は学生時代に、映画「時計じかけのオレンジ」から派生した関連本でこれを知り(この映画は、完全に三大欲がテーマです)、感銘を受けたと言うか「究極の真理だな〜これ」となりました。

〈愛〉とはすなわち“愛されること”です。誰かから「あなたのことが好きです」と言われて、嫌な気分になる人なんていないでしょう。恋人や友人や家族はもちろんながら、上司に気に入られたり、後輩に慕われたりも。その愛の重さや種類に差異があれば「面倒だな」となるケースもあるでしょうが、それでも、好かれることや慕われること自体を不快に思う人はいないでしょう。「孤独でも全然オッケー」で、嫌われ者を自認するヘソ曲がりの僕ですら、たまに誰かから愛されることがあれば、もちろん嬉しいです。

〈陶酔〉とは単純に五感の満足を求めることであり、“美しい景色を見たり、美味いメシを食べたり、心地よい音楽を聴いたり、快適なベッドで寝ること”です。これは、言わずもがな。毎日、不快な騒音の中で腐ったメシを食べ、堅い石の上で寝ることが幸せ・・なんて人がいるわけがない。

そして重要な三つめ。これが、〈残酷〉です。ニーチェは「人間が、相互愛と五感の満足を希求するだけの動物ならば、なぜにこうも争いが絶えないのか?」という難問に取り掛かり、導き出した答えが「人間にとって、他者を蹴落とし自分が優位に立つことは、本能から来る欲望であり、快楽なのだ」。残酷、と言うと殺人等のえげつないイメージを思い浮かべるかもしれませんが、これは簡単に言うと“勝負に勝つこと。相手を倒し、自分の方が優秀、強い、と知らしめること”です。スポーツや格闘技の対決を見て、自分が応援する側が勝つことに興奮するのも、その快楽の共有なのです。

極端に言えば、戦争だってそうです。とある著名な戦場カメラマンは「私が戦地に出向き続けるのは、平和のためではない。アドレナリンが出るのだ。麻薬中毒のようなものだ」とカミングアウトしております。また、日本のとある論客が先日、「戦争賛成!とかいう人間はもちろんロクでもないが、100%の気持ちで戦争反対!と言えてしまう人間のことも、私は同じくらい信用できない。戦争が起きた、と聞いて脳内の98%が悲しみでも、2%はワクワクしてしまう、それが人間というものだ」といった発信をしておりました。

ちなみにこれは人間特有の話ではなく、動物の中でも知能が発達している方のチンパンジーやイルカなどでも、弱い者いじめ、な行動の確認がされております。



②【民衆コントロールのためには、敵がいることは都合がいい】


北朝鮮に潜り込んだ実在する韓国人スパイを題材にした映画「工作 黒金星と呼ばれた男」では、北朝鮮の政府高官も、韓国大統領も、ハッキリとこう明言しております。「平和はいかん。敵がいる方が、都合がいいのだ」と。双方共に「その方が都合がいい」で一致しているので、いまだに朝鮮戦争の終結には至っていないのだ、とこの映画は訴えます。実話ベースとはいえ、これはあくまで映画の話ですが「まぁ、ほとんどの国の政府がそんなもんだろ」というのが、僕の捉えるこの世界の実像です。

国の権力者層が一番恐れるのは、“革命が起きて転覆し、処刑されること”です。民衆からの安定的な支持を保つ(水面下で支配する)ためには、反権力運動などが極力起きないように、政府は味方であると刷り込み、常に外側に顔を向かせて団結させておく必要があります。そのための最も手っ取り早い方法は、“わかりやすい敵を作ること”です。アメリカなんかは、特に顕著ですね。東西冷戦が終わってすぐに、“テロリスト”を次の敵と指定。映画業界も政府の意向に追随しますから、1990年前後から、テロと戦うヒーローものの作品が大量生産されました。「ダイ・ハード」とかね。

敵のいない平和国家を実現させてしまうと、外側に対するための団結の必然もなく、民衆の不満の矛先は内側、その国の支配層に向かいます。一方でいつ、ミサイルが降って来るかわからないような状況下にいると、もちろん生命の危機回避の方が優先度は高いので、「この難を乗り越えるために一致団結せねば!」と、人間の本能がそうさせます。

学校のクラスメイトに仲良さげな5人組がいるとして、あなたがその仲間に入りたければ、そこと関係の悪い誰かについて「◯◯ってムカつくよね~」とか言いながらすり寄れば、すぐに仲間として迎え入れてもらえますよ。大人になり人間的に成熟するにつれ、“敵を作ることで生まれる仲間意識なんて虚無だ”という目覚めがある者もいることでしょうが、社会全体で見れば、目覚めのない人間はまだまだ大多数のままですよ。僕も、キラキラ系への嫌悪を表明し、そこで共鳴のあったヤシロくんあたりと仲良くしていたりするわけで、人のことをどうこう言える立場ではありませんしね。



③【より強い武器を、先に手に入れた方が勝つ】


日本では800年頃〜1200年頃の400年近く、平安な時代が続きましたが、末期にそれが覆り、以降の400年間はずっと「誰が大将軍になるか」の覇権争い。なぜ、このような大きな波があったのかと言うと、戦乱の時代のスタート地点には、刀鍛冶の技術や乗馬の技術の発展があり、要は「持たる者が強く、持たざる者は弱い」の線引きが明確になったのですよ。僕は歴史に特に詳しいわけでもなく当然、専門家でもなんでもないわけですが(笑)。あくまでも、僕の主観による戦争史の認識です。

この“陸続きの近郊国との戦争(日本は島国なので内戦)”の時代は日本だけでなく、世界でも同じだったわけですが、1800年代から一気に、世界中で“遠くの他国との戦争”が勃発しまくります。もちろんこちらも、航空機や爆弾や銃器の技術発展があったからです。世界中で侵略を行い、植民地支配をしまくった大英帝国やフランスは、これらを作る技術の入手が他国よりも早かった、というのがまさに強さであり勝利の要因であり、支配欲の根源です。

織田信長が、欧州から伝来した鉄砲をいち早く戦法に取り入れ最強部隊を作ったように、“強い武器を先に手に入れた方が勝つ”のです。映画「エンド・オブ・ステイツ」で見られるような、小型ドローンの大群によるピンポイント爆撃攻撃(リンク→https://www.youtube.com/watch?v=YVtQWy22uRQ)は、すでに実戦に投入されているとのこと。何百ものドローンを事前のプログラミング通りに完璧に動かす、という技術は、オリンピックの開会式等で我々も見ましたよね。また、GPS機能の発達により、今では宇宙から地球上の“個人”を特定することができるのでそれを利用して、人工衛星からレーザー光線を発射し、狙った個人を一瞬で撃ち抜いて殺す、という技術の開発も進んでいるそうです。現状はどちらも中国がポールポジションにおり、アメリカは焦っているようですが。ドローンやGPSって、そっちの視点で捉えると、強烈に恐ろしいですよねぇ・・・



④【商品(最新兵器)の販売促進と、旧型の在庫の処分】


③に繋がる話。どこかの国が最新技術の兵器を開発した場合に、それが覇権主義に染まった国であれば「この技術を隠蔽・独占し、機を見て世界征服してやろう」となるでしょうが、現実的には「友好関係の国々に売りまくって儲けよう」が通常です。そして、最新兵器を売るためには、当然ながら「これはこういう商品で、殺傷能力はこうです」というデータの収集と開示が必要です。実際にその兵器が戦地で活躍する映像があれば、より説得力が増すことでしょう。

これは、けっこうよく言われていることです。兵器開発の先進国(主にアメリカやイスラエルなど)が戦争を定期的に起こし定期的に介入するのは、“最新兵器を売るために、実戦で使って見せたいからだ”と。パリコレのファッションショーみたいなもんです。また、こちらはあまり流布されている定説ではなく僕が以前に軍事に詳しい者から聞いて「なるほど、たしかに」と思った話ですが、最新兵器が作られ続ける=古い時代の兵器は無駄になる、なわけで、しかしそれらの古い兵器は火薬等をふんだんに含む危険物。原子力発電所の核廃棄物のようなもので、どこかの施設に保管し続けるのにはリスクしかなく、しかし処分の方法もなく、とても困るのですよ。

というわけで、“このままでは捨てられないし持ち続けられない→どこかで使おう”、となるのです。つまり、戦争で使われる兵器には最新と旧型とが混ざっており、兵士が最新兵器を使う際には詳細なデータ収集に勤しみ、旧型兵器はオラオラで撃ちまくって在庫処分という、そんな使い分けをしています。前述のように、最新兵器は“無人”が主流ですから、人間が直接使う武器の大量在庫は、今後はますますの無駄無駄無駄ですよ。広島と長崎に落とされた原爆も、二つは違うタイプのもの(長崎の方が威力は強い)で、アメリカにおける定説は「戦争を早期終結させるため」ですが、世界的には「爆撃のデータ収集と、ソ連への威嚇のため」という解釈が多数派です。軍需産業トップの米国企業、ロッキード・マーティン社の売上げは、なんと年間で5兆円ですよ。



以上! 「この世界で戦争が無くならない背景には、人間の本能の問題や、権力者層の都合と金儲けがある」という話でした!!


世の多くの人々は「戦争を起こすなんて有り得ない。それをするのは狂人。私は絶対にそんな人間ではない」と言うでしょうが、それが多数派である限りは、真の世界平和の実現はない、と僕は考えます。「戦争を起こす人間も、僕らと同じ。何かしらの狙いや都合があり、守りたい何かが必ずある。日本だって、いつかそうなる可能性はある。日本人が、そんな人物をボスに選び開戦を支持する可能性はある」というのが、僕のスタンスです。

“戦争は、特別な狂人が起こすので、それを排他する社会にしよう”ではないのです。“自分を含める誰しもが、そちらに向かってしまいかねない芽を持つので、各々がその危険性を自覚し、気をつけ続けよう”なのです。僕が誰かと戦争論をぶつけ合って、根元からの大きな相違を感じるのは、その点のことが多いです。


僕はもうすぐ宿を再開しますし、あまりくどいのもなんなので、今後しばらくはこの類いの話題は控えます。ロシア・ウクライナ戦争の背景について、より詳しく知りたいという方には、米国人のオリバー・ストーン監督が制作した「ウクライナ・オン・ファイア」という映画を観ていただきたい、と強く思います(削除されまくっているようですが、探せば見つかるはずです!)。


とにかく一日でも早く、世界中が平和になって欲しい!!!






4 件のコメント:

  1. 私の名前が(笑)
    でも小さな例とは言え、そこっすよねぇ。

    ゲストハウスってそういう物じゃねぇよ…って言うコッチも、ゲストハウス!地域おこし!田舎暮らし!交流!起業!繋がり!社会貢献!・・・なキラキラ連中も、どっちも自分が間違ってると思ってないですからね(笑)
    ホントタクロウさんが書く通りですよねぇ。

    まあそこで殴って解決しちゃダメだろって話ですが、相手に殴らせるまで追い込んだ方には1ミリも責任なかったのか?って目線も必要っすよね。
    なにかっちゃ白黒ハッキリつけたがる人が多すぎて疲れますね最近…。

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    1. あ、すみませんね、例に出しちゃいました。

      僕が2014年のマイダン革命や、90年代のユーゴ内戦について話すと「なんすかそれ?」のくせに、「ロシアの目標はウクライナの侵略」だの「降伏すればロシアに支配されるだけ」だの言っている連中にウンザリしています。

      主要メディアが軒並み、善悪二元論ですからねぇ。どこかのアンケートで、「100%ロシアが悪い」という意見の割合は、日本が世界最高だったとのこと。やれやれです。

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  2. 久しぶりに来てみましたら・・

    あーもー、ホント、なんなんだろう、共感しまくりです。世界を旅して色んな価値観や歴史と触れ合った経験があると、こんなふうに思えるのかな?それとも、こういう考えの人だからこそ、世界一周バックパッカーになるのかな?

    前の記事にも書かれてましたが、「フラットな目線で世界を捉えようと努めている」これ。口で言うのは簡単ですが、きわめて難しいですよね。

    私、子供の受験でいろんな学校の教育方針とかみてたんですけど、、多様な価値観の尊重とか、国際教育とか、ほとんどの学校で書いてあるんですけど、表面的なんじゃないかと、すごく疑わしく思っています。

    日本は特にロシアに対して思考停止感ありますよね。北方領土問題があるから?「キーウ・ノット・キエフ」も、個人的に違和感ありまくりです。前の記事の例えば話で、日米戦争が起きた時、もし世界中でいきなり日本海を東海と表記直す運動がおきたらどんな気持ちがするかってことです。

    まあ、日本としては米国に足並みそろえる以外の選択肢は実質ないのかもしれませんけどね。

    私は歴史にも政治にも疎いので、今回のウクライナ戦争について人様に語れるような持論は展開できないのですが、せめて一方的にならないように、マスコミの報道は遠くから冷めた目で見ています。

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    1. あーーーーお久しぶりですッ!! お元気ですか?

      僕のこのスタンスは、やはり旅の経験の影響が大ですかね。多くの国で、実際に尋ねてみると日本で学んだ(メディアで流布されていた)情報とは全く違うことが多く。特に独裁国家等の「政府がよろしくない」的な刷り込みがある国に行ってみると、現地人は幸せそうで主権者を心から尊敬している、というケースが多く。

      それに対し「洗脳に成功しているだけ」「政府批判をすると罰せられるからでしょ」「本当の幸せを知らないだけ」等と断じてしまうのは、それこそが洗脳だと気付きましてね。僕はいつの間にかその価値観“幸せの尺度なんて、人それぞれ。国それぞれ”が確定しましたので、極端に言えば北朝鮮ですら「現地人はきっと幸せなのだろう」と捉えております。

      最近で言えばアフガニスタンでの革命だって、国民の大多数がタリバンを歓迎しておりポジティブに報じる国も多かったというのに、日本の報道ではまぁ見事にマイナスイメージの刷り込み一辺倒。政府もメディアもアメリカ追従なのは、この先もずっと続くのでしょうが、日本人のほとんどがそれに疑いすらないのは、本当に情けないと思います。

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