2017年1月13日金曜日

哲学を語りたがる人間は、カッコ悪い!!


あ、どうもで〜すぅ(チャラい感じで)。YAWP! backpackersは、4日からの年始のお休みを10日に終え、一昨日より運営を再開しております。



今月は【2泊したら3泊目が無料!】キャンペーンの効果がかなりあり、フルでなかったのは昨日までの二日間だけで、本日から二週間はほぼ、埋まっています。特に24日までは、完全に埋まっていない日も含め、hostelworldでの予約の受付は全て閉め切ってしまいました(ホームページからのご予約は、まだ承っております)。新年早々、テンヤワンヤになりたくないですしね。そこそこの忙しさが、僕にはベストなのです。


先月の同キャンペーンでは、途中でお休みをいただいたりしたせいもあり、ジャスト3泊のご利用(2泊分の料金)が多かったのですが、今月のこれからの予約はより長期のゲストばかりでして、4〜8泊の方が多いです。平均でも、5泊くらいになるんじゃないでしょうか? これは僕にとっては、願ってもないハッピーな状況です。短期滞在のゲストも、もちろん大歓迎ですけどね。




さてさて、一週間のお休みの話なのですが、今回は別に疲れが溜まっているわけでもなかったので、けっこうアクティブにいろいろなことをしました。普通に、実家に帰ったり親友と飲んだりしただけですが。僕にしては珍しく、初対面の方と飲んだりもしました。七日間の内、五日は、そういった何かしらの目的があって街に出ました。久しぶりに充実したプライベートで、とても楽しかったです。


逆に言うと、家でひたすらノンビリした日が二日あったわけですが、年末年始に録画したTV番組がかなり溜まっていたので、その二日間はそればかりを観ていました。僕は別に、TVをそんなに観る方ではないんですけどね。ハードディスクの空き容量がついに底をつきそうなので、観まくって消しまくる必要があった、という理由もあります。


その中で特に印象的だったのが、12月25日放送の“ビートたけしのTVタックル”。そこで紹介されていた、中島芭旺(ばお)くんに、僕はとても興味を惹かれました。彼は「小さな哲学者」と呼ばれる、11歳の小学生です。10歳の頃に、「見てる、知ってる、考えてる」という書籍を出版し、今すごく注目されている児童とのことでして。

印象的だった・・というか、正確に言うと僕の感想は、「すさまじくモヤモヤした」ですね。番組の他の出演者(大人)たちにも、どこか奥歯に物が挟まったような、そんなモヤモヤな雰囲気があったように感じられました。



先に言っておきますと、僕にはとにかく大嫌いなものがありまして、それは

・哲学
・自分探し
・自己啓発

といった、キラキラした類いのものです。そういうのにハマる人とは、価値観が180度違うので、僕は確実に友達にはなれません。20代くらいまでなら、まだ理解できますけどね。30を過ぎて、それらに引き寄せられてしまうような人は、はっきり言って僕は苦手です。

さらに僕は、経営者の立場として、絶対に雇わない人間のタイプがあります。何かの仕事を任されて、それに失敗したとして、「俺の本来の居場所はここじゃない」「俺の能力が活かされるのは、こういう仕事じゃない」といった方向に、自身を納得させてしまうタイプ。こういう思考回路の者は、そのループを繰り返すだけで、確実に仕事ができません。

他にも例えば、自身が全くモテないことを「今は恋人をつくるべき時期じゃない」とか言って納得しちゃう奴とか。それらすべてをひっくるめて簡単に言ってしまうと、要は僕は、“モラトリアム人間”が大嫌いなのです。若者がモラトリアムに落ち入るのは当然のことなので、それ自体は否定するべき対象ではありませんが。それをこじらせてこじらせてこじらせまくっている、いい歳した大人が、本当にタチが悪いと感じるのです。そういう人、そんなにはいませんが、たまにいます。



というわけで、芭旺くんの話に戻りまして。僕はもちろん、11歳の子供に対して批判の矛先を向けるつもりはないです。僕は、彼を「天才だ!」とかいってチヤホヤする周りの大人たちに対して、すさまじい違和感を覚えるのです。



芭旺くんは、小学2年次から、学校には通っていないそうです。基本は一日中ゲームをしており、ゲームをしながら思いついた何気ない言葉をメモに取り、“哲学”として世に発信しています。学習は基本、家で自主的にやっているそうですが、とにかく今は、不登校児でゲーム中心の生活なわけです。不登校の理由にはいじめの問題があったそうなので、彼が「学校にはもう行かない!」と決意したこと自体は大いに尊重すべきだと思いますし、認めるべきだと僕は思います。彼の親は、国民の三大義務に反していますけどね。

しかし彼は、学校に行かない理由も、彼なりの哲学?で語るのです。「僕は、事実を知りたい」のだそうです。「学校の先生は、教科書を読むだけで、自身の体験を語らない。なのでそこには、事実はない」から、学校には行かないのだそうです。



これを言ってはかわいそうかもしれませんし、つまらない視点かもしれませんが、僕は彼の本音は「いじめられるのが嫌だ!」とか「友達ができなくて辛い!」とか、そういうシンプルなもののように思うんですよね。それを、もっともらしくカッコよさげな理由づけをして、必死に自己を肯定、弁護している。


要は彼は、自己肯定の塊なのです。「僕は正しい!」的な肯定ではなく、「つまづいたっていいじゃないか、人間だもの」的な価値観。自己を含める全てを、なんでも許しましょう、な考え方の塊です。僕はなかなか興味を持ったので、彼の本(すみません、買ってはいません)をはじめ、ネットの記事等いろいろ読みましたが、彼の母親こそが、まさに自己肯定の塊なんですね。その母親の元で、これまで11年間、「あなたはあなたなのだから」「ありのままで」「自分の思うように自由に生きなさい」的な価値観をとことん刷り込まれた結果、彼は学校に行くことを辞め、今後も行く気は全くなく、ゲームばかりの毎日を「だって僕は僕だから」の哲学?でごまかそうとしています。



ここで正直に言いますと、実は僕も小学生の頃には、哲学者(笑)っぽい一面があったのです。「なんで僕は生きているんだろう・・」「なんで僕は僕なんだろう・・」等々を考えて、変なゾーンに迷い込んでしまい、一晩中眠れなかった、なんてことが何度もありました。しかしある時、気付いたのです。「こんなん考えるのって、無意味でアホくさいな」と。「こんなことばかり考えてる奴って、つまんない奴だな」と。

哲学というのは、はるか昔は数学や物理学等を極めた者だけが辿り着く、境地のような存在だったのです。それが長い時を経て、今では誰でも弄べる手軽なものになり、街には相田みつをのパクリみたいな路上詩人クンが、大量発生したわけです(最近はあまり見かけませんが)。


はっきり言います。哲学なんてもんは今や、「ヒマな人間」や「強いコンプレックスを持つ人間」が語りたがるだけの、実にしょうもないものです。ただのオナニーみたいなもんで、決してありがたがるようなものではない。他人がオナニーを見せつけてきたら、迷惑でしょう? そんなのを見て、感動なんてしないでしょう? 僕にとっては、他人が語る哲学なんてものは、その程度の下らなくてうっとおしい存在なわけです。



芭旺くんは、すごく頭がいいと思います。11歳にして、彼なりの表現でもって、人々の心に響きそうな?それっぽい言葉を発信し続けられるのは、素晴らしい才能だと思います。しかし僕は、彼にはそれを、カッコ悪いことだと知って欲しい。何かに失敗したり、うまく行かなかったりして、「ここは、僕の本来の居場所じゃない」「これは、僕の求めることではない」的な価値観に落としどころを見つけるのは、けっこうズルいことです。学校に行かない理由が、「事実を学べないから」? 好きなことは、「自分であること」? 芭旺くん、カッコ悪いよそれ!

周りの大人、誰か一人でもいいので、「哲学を語ってるんだって?カッコ悪いね」と、彼にビシッ!と言ってほしい。「似たようなことを考える人は山のようにいるけど、そのカッコ悪さ、恥ずかしさを知っているから、表には出さないんだよ」と、教えてあげてほしい。前述の“TVタックル”では、杉村太蔵(僕はけっこう好きです)氏が芭旺くんに、「君の言葉には矛盾があるよ!」とストレートに指摘していました。周りの出演者たちは「そんなん言うなや大人げない〜」といった反応でしたが、僕は杉村氏のこの対応スタンスこそが、真っ当だと思います。



芭旺くんの最も嫌いな言葉は、「未来」なのだそうです。

彼には、うまく行かないことにも正面からぶつかって、「コンチクショー!」と大号泣して、「もういっちょやったる!」「次こそは成功させたる!」とイきり立って欲しい。その不器用さ、ダサさから逃げないことこそ、僕は大切だと思います。




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