2019年4月20日土曜日

日本の学校教育に、モノ申す!!②




気持ちのい〜ぃ季節!

僕は明日からの一週間は、ゴールデンウィークに向けての体力チャージ休み(笑)です。いろいろやるべきことがあってヒマではないのですが、それなりにちゃんと休みます! 「アベンジャーズ/エンドゲーム」が待ち遠しい!!



さてさて、今回は宣言通りに、学校教育にモノ申す!の第二弾なのですが。


その前に、前回と似たような感じで、チョロっとだけ関係のない話を。

先日、業界のとある人が「私が物件探しをした際は、こんなハチャメチャなことだらけだった」という内容の発信をしていたんですよ。それは、完全に笑い話として。僕は、それにこそ「わかる・わかる」でして。なんでこの業界の多くの人って、“物件探し=辛い”という捉え方をするのでしょうか?

僕もこの、高砂のビルに巡り会うまでの期間は二年を越えましたし、その間は、良いことも悪いこともいろいろありましたが、総じて言うと「楽しかった」です。それは結果的にサイコーの物件を手に入れられたからではなく、探している日々そのものが、ストレートに楽しい毎日でした。なので僕は開業志望者に向けて、ネットでちらほら見かける「物件探しって、辛いよ・・」という発信には反旗を掲げ、「いやいゃ、楽しいぜ〜!」とあえて言い切りたいと思います。



というわけで、主軸の話に戻り。


前回、僕は「現状の、日本の学校の英語教育は時間のムダ!」という話をしました。今回はそれに連なって、僕だったら日本の教育システムをどう変えるか、という話(スケールでかっw)をします。


ここでは例として、中学2年次の話に絞って、話を進めますが。

いきなりですが、現状の、文科省が指定する中学2年生の科目別授業数(週あたり)と、「僕だったらこう変える!」を、まず最初に書いちゃいます。

(現状) (僕なら)
国語:4 → 5
数学:3 → 4
社会:3 → 2
理科:4 → 2
英語:4 → 0
音楽:1 → 1
美術:1 → 1
技家:2 → 2
体育:3 → 3
道徳:1 → 0
総合:2 → 8(ニ連続×4)

ムダ!と言い切った通りに、英語はもちろん廃止。道徳なんてさらにムダなので、絶対に廃止。頭の固い、つまらないオッサン連中が押し付ける道徳教育では、子ども達の人間性はむしろダメになります(笑)。


上の、僕の案を見て、「総合8(ニ連続×4)? なんじゃそりゃ」と思った方は多いと思います。これは説明が長くなりますが、結論から言うと僕は、【全員に教えるべき単元と、興味がある生徒だけが学ぶ単元を、完全に分けるべき】という考えなのです。

例えば上記の社会の2授業(全員に教えるべき単元)は、近現代史〜公民(政治経済)のみです。公民は、現状では中2の終盤に、歴史の授業が終わってから入る単元ですが、それでは全然足りない。中1からの三年間、丸ごとみっちりやるべきです。主要産業の変化等、明治以降の日本と世界の発展の経緯を学びつつ、今現在の社会の仕組みを、生徒にとことん叩き込むべきです。もちろん経済の学びも含みますので、お金についての教育もみっちりやる。一方的にただ教えるのではなく、社会の諸問題について、生徒同士で議論もさせる。

一方で、明治維新以前の歴史や地理は、“興味がある生徒だけが学ぶ単元”として、総合学習の時間に移行する。その時間は、教師が黒板を使って全員に教えるスタイルではなく、基本は生徒それぞれの自主学習形式にする。当然、テストもない。完全に好きな学習だけを自分の意志でする時間だが、大学のゼミのレポートのように、期間ごとに研究(学習)の成果を提出・発表することを義務づける。

実は僕自身が学生時代、歴史は大嫌いで、地理が大好きでしたからね。戦国時代、あの大名があの大名と戦をして・・・とかマジでどうでもよくて。そんなのは、興味のないTVドラマのストーリーを延々と聞かされているようなもんで。なんで社会科の教師って、戦国時代らへんでなんだかテンションが上がり、熱く語りたがるんでしょうかね? 仏教徒を大虐殺した織田信長なんて、やったことはヒトラーとたいして変わらないじゃないですか。


なので、社会科で例えると、僕の目線で言えば

〈歴史〉
興味ないから学ぶ必要ない。普通に生活して普通にTVを見てネットして本を読めば、ある程度の時代の流れはわかる。好きな奴だけやればいいじゃん。

〈地理〉
すごく興味がある。自分から学びたい欲がある。しかし嫌いな人はやらなくてもいいと思う。

〈近現代史〜公民〉
僕自身も好きだが、これは個々の好き嫌い関係なく、全員にムリにでも教え込むべき。必修!

・・ということです。僕は地理好き&歴史嫌いだからこうなだけで、歴史が好きな人はそちらの学習をすればいいですし、どちらも好きな人は両方やればいい。なんせ、週に8時間もありますからね。学習の広がりや、深さは、これまた生徒次第で。中学の三年間、ずっとひたすら平安時代だけを研究してもいいですし、全時代を薄く広くやったっていい。平安時代にだけやたらと詳しい人と、歴史全般にそれなりに詳しい人、僕はどちらも魅力的だと思います。


僕のこの、【全員に教えるべき単元か、興味がある生徒だけが学ぶ単元か】の区別は、簡単言うと「知らないままで大人になると、苦労するかどうか」の違いです。政治経済の仕組みを全然理解していない大人(たまにいますよね)には、僕ははっきり言って「受動ではなく能動で生きろよ!」とイライラします。例えば資本主義と社会主義の違いとか、税制のこととか、世の中の基本のキを分かっていない人とは、もはや根本的に会話にならない。「いい天気ですねェ」くらいしか、話題がない(笑)!!



さらに、その区別軸で、主要5教科についてをバッサリ区分けすると、

(全員に教えるべき)
国語:現代文(週3は“読む”、週2は“書く”)
数学:全て
社会:近現代史〜公民
理科:生物(人体)、化学(酸とアルカリ)等の、知らないと死すらありえる単元
英語:なし。授業自体を廃止!!

(興味がある生徒だけ)
国語:古文、漢文
数学:なし
社会:地理、歴史(江戸時代まで)
理科:全体的に(知らなくても生活に支障をきたさない単元)
英語:授業自体を廃止・・だが、マスターしたい者は好きに学んでよい

という感じですね。


僕がこう改革したい一番の理由は、今の日本の学校教育では、全ての単元が並列でフラットすぎるからです。細かくコロコロと変わる、多すぎる単元を、抑揚なく淡々と進めすぎです。

学校教育は、一部の単元を分かりやすく抽出して、「これを知らないと将来ヤバいことになるぞ!」と、生徒にとことん深くまで叩き込むべきなのです。その一方で、「知らなくてもまぁ、大丈夫よ」という単元については、それもちゃんと生徒に伝える。「“押し付けられる”マスト知識(知らないとヘタしたら死ぬぞ)」と「“自分で学ぶ”エクストラ知識(知っていたら豊かな人生になるぞ)」の線引きを、生徒に鮮明に示すべきなのです。

このシステムでは、時間割も分かりやすく、全ての曜日の午後を総合学習(興味のある学習を各々で)にすることができます。教師も、管理者として教室にはいますが、“教える授業”ではないので楽チンです。日報等の作業はその時間に内職して、毎日残業ナシの定時で帰れるようになります(笑)。教師は“教えるべき授業”ではとことん教え、“生徒の学習欲に任せる授業”では、管理とサポート以外は気を抜いてもいいのです。現状の、教師という職業は、体力もメンタルもキツすぎるって!! もっと楽をさせたげて!!!



ということで、ここいらで話を締めようと思いましたが、上記で僕が、

(全員に教えるべき)
数学:全て

としたことに、「んんっ?」となった方がいるかもしれないので、最後にその点を。


ざっくりと言うと僕は、「英語:全員がマスターすべきスポーツ」「国語:人間力や創造力を養う」「理科・社会:生活に必要な知識を得る」というような認識でおりますが、数学はズバリ「脳を鍛える」のです。もっと具体的に言うと、「合理的思考力を鍛える」のです。

例えば料理をする際に、「最小の作業&最短の時間でやれ」と指示されたら、もの凄く頭を使いますよね。一般家庭で夕食を作るくらいならば、どうやろうがたいして変わらないでしょうが。これが例えば巨大レストランで、大量の料理をまとめて作る際には、ちゃんと考えないとハチャメチャになること必至です。

実は一流の料理人って、ほとんどが理系で、成績優秀なのだそうです。この距離感で、この順番で、この時間リズムで作業すると最も効率がいい・・という分析をできる脳を鍛える学問が、まさに数学なのです!! 数学は、「仕事のデキる大人になる」ために、絶対に必要なんですよ!!!


まぁこれは、僕自身が超が付くほどの数学好きだからこその、そういう特別扱い(笑)なのかもしれませんが。僕にとっては、数学の授業はむしろ待ち遠しく、勉強ではなくゲームという感覚だったもので。今でもたまに、数学の問題集を開きますよ。

今の学生達にも、そうやって楽しんで欲しいんだけどなぁ。例えば確率の授業で、モンティ・ホール問題の話とかすれば、超・面白いから生徒も絶対に食いつくのに。もっと工夫してくれよ〜、教師さん達!!!


次回の第③弾は、「宿題なんてムダだから廃止すべし!」という話と、僕の心に残る、二人の恩師の話をします!


さぁさぁ、休むぞぉ〜〜〜!!!!





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