2019年7月19日金曜日

無差別大量殺人に、思うこと。




いきなりですが、京都市長さんよ〜。「火事は3分、10分が大事。選挙は最後の1日、2日で逆転できる」だと?

のうのうと応援演説に参じている時点で腹立たしいのに、よくもまぁ軽々しく・・。ここまでバカな愚か者がいるなんて、正直、人間性を疑うレベルだよ・・・。「京都市民でなくて、本当によかった」と思うわ。ほんと、心の底から軽蔑する!



・・・と、しょっぱなから丁寧語でない、荒い口調で怒りをブチまけてしまい、すみませんです。それくらい、ムカついたもので。この市長は、二週間ほど前に「京都市は観光都市ではない」「京都らしくないものは撤退を」という発言もあり、激しく呆れ果てていたもので。残念な行政トップは日本中にたくさんおりますが、ここまでどうしようもない人間は、なかなかいないです。僕は京都とは関係ありませんが、この人の薄っぺらさは不快極まりないので、今すぐに辞めてほしいですね。


先日、僕はこのブログにて「世の中の出来事の大半は、僕にとってはどうでもいい」と書きました。それは主には不倫や大麻の事件についてでしたが、極端な例として、芸能人の誰それが恋人を殺したとしても、僕は「バカだなぁ」としか思わない、と書きました。しかし注釈のような流れで、(さすがに無差別殺人には他人事じゃないので憤ります)としました。

この記事をUPしたのは5月28日でしたが、僕は基本は書き終わってすぐにUPするスタイルではないので、それより前に書き終わっておりました。そしてUPしたちょうどその日は、川崎で小学生らを狙った無差別大量殺人事件が発生した日でした。


そして昨日、今度は京都で、30人以上が犠牲になるという未曾有の放火事件が発生。犯人は41歳で、茨城出身とのこと。僕は40歳、千葉県の北部出身。犯人の小学生時代の卒業アルバムの写真がニュースで公開されていましたが、僕の物とそっくりでしたので、おそらく同じ会社が製作したのでしょう。


実は数日前に、とある方の発信で5月の川崎の事件が話題にあがっており、文化人?の杉作J太郎氏のエピソードが紹介されていました。この川崎の件ではないのですが、とある無差別殺人事件が起きた際に、多くのコメンテーターが「理解不能の狂人が増えている。これからは、“私たちはいつでも被害者になりえる”という危機意識を持つべきだ」と述べる中、杉作氏だけはそれに猛然と「いや違う。彼らを狂人という括りで片付けるべきではない。僕らは“いつでも加害者になりえる”という意識を持つべきなのだ!」と反論したそうなのです。

僕は完全に、杉作氏の意見に賛同です。彼のこの目線、この考え方を、素晴らしいと思います。


平和だったはずのこの日本で、凄惨な大量殺人事件が、増えまくっています。僕らは、そんな事件を起こす者々を「私たちとは全く違う世界の、頭のおかしな人間」と捉えるのではなく、「彼らはなぜ、そうなってしまったのだろう。私の人生、私の生活環境と、何が違ったのだろう」と考えるべきです。

今後もますます、このような事件は増えそうな気がしますし、考えてもしかたがないことなのかもしれませんが。しかし僕ら、“普通”と思われる人間が「いつでも加害者になりえる」という意識を持つことこそが、根元からの問題解決への第一歩だと思うのです。もちろん、殺人を犯した者々を、擁護する気は全くありません。しかし僕は、「自分は絶対にそうならない!」と、100%の自信を持っては言い切れません。むしろ、簡単にそう言えてしまう者のことは、信頼に値しないと考えます。


日本だけでなく、アメリカでも、最近は毎月のように銃乱射事件が発生しています。その一方で、年間の殺人事件数はゼロ、あってもせいぜい一度か二度という国も、世界中に存在しております。日本やアメリカと、そういった国々との違いは、なんなのでしょうか? 犯人が育むに至った、その狂気の源は、どこにあるのでしょうか?


強烈な事件が続き、悲しいというか、虚しいというか、なんとも言えない思いです。昨晩はゲストの皆と飲みに行く予定でしたが、なんだかそんな気分にならなかったので、僕は宿に残りました。そして一人で、なんとなく聴きたくなった Mr.Children の「タガタメ」を聴いていました。


被害者の方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。





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